嫌な出来事は嫌な映画を観ているようなもの

安心感や幸せな気持ちに包まれて暮らしていても、突如、願望実現に程遠い真逆の現象や、嫌な予感などに苦しんでしまう時があります。

私も嫌な現象を目の当たりにすると、不安感がこみ上げてきます。うまく行っていると思っていても、急に行き詰まりを感じてしまうこともあります。

生きている限り、心を乱すような出来事はいつだって起こる可能性はあります。しかし、それで願望成就を諦めてしまうとそこで終わってしまいます。

真逆の現象が見えて一時期落ち込んだとしても、それは諦めることではありません。気持ちが元にも取った時また行くべき目的地へ向けて、進んでいけばいいのです。

嫌な出来事、嫌な現象、真逆の現象であっても、それは自分で勝手に嫌なことや、真逆だと思いこんでしまっていることもあります。

それはただ、嫌だと感じる映画を見てしまったと同じ状態なのです。

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起こる出来事は全て映画

現実に起こる出来事は、ものすごくリアルで本物に感じるかもしれませんが、実はそれは映画なのです。あまりにも感情移入してしまうため、それが本物だと思いこんでいるだけです。

映画は作り物だと知っていても、見ているとハラハラしたり、怒ったり、笑ったり、泣いたりと感情が変化します。現実も何か起こると感情が動きますよね。

現実に起こった出来事は真実だと捉えてしまいますが、この真実も本当に真実なのか、よく考えると曖昧なものです。

私達は経験から「原因=結果」を関連付けてしまいがちです。好きな人から「ラインをブロックされた=もうダメ」と勝手に考えてしまいます。

物事はネガティブ、ポジティブ、どちらにも捉えることはできます。物事の解釈は人それぞれ違います。全員が一致する考えというものは無いのです。

映画はそれを観る人によって、評価が変わります。ある人はオモシロイと思っていても、ある人はつまらないと評価するかもしれません。

現実の出来事も映画の評価のように、自分の判断で良いか悪いかが決まっていきます。圧倒的多数が良いと言ったものでも、それが自分に受け入れられなければ真実ではありません。

嫌な映像が辛くてたまらない時

嫌な映像、嫌な現象辛くて、どうしようもない時は、その気持ちが落ち着くまで待つしかありません。幸せそうな人が恨めしくなってしまうこともあるでしょう。

しかし、そんな幸せそうな人に嫉妬して妬んでしまっては、余計に自分を傷つける事になってしまいます。幸せそうな人を非難する前に、まずは自分を大切にいたわることです。

嫌なことが起こるのは、自分の行動のせいでもありますが、人間関係の場合、どっちもどっちであることは多いのです。全部自分のせいにするのは辛いことです。でも全部人のせいにすることも良くありません。

とにかく今の自分の気持に素直になってみることです。辛い気持ちを吐くのも自分をいたわることになります。

どんなにうまく行ってそうな人でも、どうしようもない大変な出来事に遭う事はあります。私も今は嫌な出来事の最中です。けれど心の奥底では、それでもうまくいくという確信はあります。

辛い時は山登りをしていて、途中で怪我をして休まなければならなくなった状態のようなものです。早く頂上を目指したいのに、登れないとなると焦りますが、怪我が治るまで待つしかありません。

焦っている状態は辛いですが、そんな環境の中でもゆっくりと周りを見てみることは大切です。普通に登っていては見えない景色を見れたり、意外な人との出会いがあったりと、想像外の出来事の中でも良い出来事を体験することはできます。

辛い時でも、うまく行っているのです。辛くてそう思えない時でも、時間が経てば大丈夫なのです。

人の意見は参考にして、自分の心に従う

嫌な現象があまりにも辛いものだと、人に相談したくなりますが、その時はアドバイスに惑わされすぎず、自分の心に従うことが大切です。

アドバイスはアドバイスする人の考えを伝えているだけです。ラインをブロックされて辛い時は、自分ならどうするかをその人自身の考えから、答えを出しているのです。

しかし人からの意見を聞くことで、人の気持ちを知ることができ、見聞を深めることができます。一人の考えでは偏りが出てしまうので、人の様々な考えを知ることは大切です。

それでも辛すぎる時は、人へその気持ちを打ち明けても、なかなか気持ちが休まらないものです。失恋したなどショックが大きすぎるものであればあるほど、元気になるには時間がかかります。

無理な時は無理せず休む。それだけでも自分を愛することになります。

本日もお読みくださり、ありがとうございます。

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