悲しくて、辛くて、泣いてしまって落ち着いた時って、なんだか恥ずかしさを感じる時がありますよね。
「何であんな事で泣いてたのだろう」と。
その恥ずかしいと感じるのは、辛さを乗り越えたから恥ずかしいと感じるのです。泣いていたのを恥ずかしいと思う時、見えないと思いますが自分の中で成長することができています。
どんな私でも大丈夫
仕事、学業、見た目、体型、など関係なく、自分は自分であることが素晴らしいのです。人からの社会の評価に惑わされていては、いつまで経っても安心することはできません。
苦手な事は、無理に克服しなくてもそれが個性です。私は苦手な事の克服を辞めました。克服しようとすればするほど、余計に不安感が増してくるからです。
克服するのではなく、出来るようにすると考えれば気持ちも楽になりますし、苦手→出来るになったときの喜びも感じられます。
人はただ生まれてきただけで奇跡です。生まれてくることは、最高の引き寄せなのです。
辛いことはギフト
辛い出来事が起こると、物凄く辛いし悲しいですが、その中には必ず輝きがあります。
辛い出来事があるから、自分の望みが見えてくることもありますし、それを経て自分を大きく成長させることもできます。
物事の悪いところに集中するとそれが大きくなり、良いことが見えなくなってしまいます。人や物のあら捜しを始めるとキリがないのは、悪いところにフォーカスし、どんどんどんどん悪いところを探し続けるからです。
どんな人にも欠点があるし、どんな楽しい映画やアニメでも欠点はあります。私は昔はゲームのあら捜しばかりしていた頃がありましたが、探そうとするとどんなゲームにも見つかるのです。
あら捜しはしないほうが人生は楽しめます。
辛い出来事も、辛いにフォーカスすると、それしか見えなくなります。辛い時ほど近眼状態になります。
別の視点から見つめ良いところを探していく、ことが大切なのです。
思い込みは捨ててまっさらなキモチで
悪い思い込みは真実ではなく、嘘であることも多いのです。
誰かに嫌われていると思いこんでいると、実はそうではないのに自分では嫌われていると信じてしまいます。無意識のうちで嫌われているという情報が目や耳に入ってきてしまいます。
「嫌われている」というメガネを掛けていては、その情報しか見れないのです。赤色に集中すると青色は見えなくなります。
思い込みのフィルターにかけると、物事はその思い込みどおりに展開されていきます。
だったら悪い思い込みより、良い思い込みが良いですね。
悪い思い込みは捨ててしまっても問題ありません。捨てたほうが心も軽くなり思考も冴えてきます。
本日もお読みくださり、ありがとうございます。