嫌な事は、一つの映画、アニメ、ゲームのワンシーンみたいなもの


Minh LêによるPixabayからの画像

普段生活していると、楽しい気持ちから一気に最悪な気持ちに、なってしまう出来事を経験してしまう事もあります。

私もつい最近、楽しく過ごしていたのに嫌な気持ちにさせられる出来事に遭遇してしまいました。

しかし、何が起きてもその状態とはずっと続くものではありませんし、出来事のせいで人生が終わったりしません。

嫌な事があってもそれは映画やアニメのワンシーンです。ただ嫌な映画のシーンを見てしまっているだけです。

好きな映画、アニメ、ゲームにも嫌なシーンはある

どんなに楽しい映画やアニメでも、中には嫌なシーン、退屈なシーンが出てきます。

ゲームだとあの洞窟はトラップがいっぱいで難しい、敵が強すぎる等、楽しいゲームにも、どこか嫌な部分はあるものです。

しかし、ほんの一部分の嫌なことでその作品全体を嫌いになることは無いと思います。

(稀に嫌なシーンが個人的にとても許せないものだと、一気に嫌いになってしまうこともありますが…)

嫌な事は一つの作品=人生の中でのたった一つの小さなイベントです。辛いときの渦中は嫌な事が全てに感じてしまいますが、全体から見たら大したことなく、シナリオが終わったときには大丈夫だった、何とかなった、何とか乗り切ったと必ず安心できます。

嫌な事は感じきる

ポジティブシンキングや引き寄せの法則を知ると、嫌な事があってもそれを表に出してはいけないと思いがちですが、それでは感情が押し込められてしまうだけで、ポジティブシンキングや引き寄せの法則を知る前よりも、状況が悲惨なものになってしまう恐れがあります。

ポジティブさは大切ですが、今感じている感情を無視してまでポジティブを出すことは不自然です。

自分のことだと鈍感になりがちですが、無理に辛いときにポジティブに振舞うのは、泣いていて落ち込んでいて辛いのに、泣くな落ち込むなと強制させることと一緒です。

怖い先生や怖い親に強い口調で、気持ちがぼろぼろなのに責められる同じシチュエーションです。

ポジティブって無理してポジティブにならなくても、自然となることが出来るものです。私はネット通販やオークションで欲しいと思うものを見ていたとき、ほわほわと暖かく楽しい気持ちになることが出来ました。

とにかく嫌で辛い時はその気持ちがスッキリするまで出し切ることです。泣いて泣いて泣きつくした後、何故こんなことに悲しくなっていたのか分からなくなったり、恥ずかしくなったりしてしまうものです。

またネガティブで辛い気持ちでいると体がこわばってしまい、何となく調子も悪くなってくるため、ネガティブでいるのを自然とやめたくなってきます。

私もつい最近の嫌な出来事で気持ちが悶々としていましたが、時間が経つにつれ冷静になってきました。

私が変に思い込みすぎていた、出来事に関わる人への思いやりを忘れかけていた等、いろいろと自分が忘れてたこと等に気がついてきました。

辛い出来事は衝撃が大きなものほど、乗り越えるのに時間がかかり辛いですが、少しずつ時間と共に乗り越えていけば大丈夫です。

何が起こっても完璧

昔の記事ですが、最近この719式という掲示板の書き込みのまとめを知りました。

その書き込みの解釈は人それぞれかと思いますが、私はその中で何が起こっても完璧だといるフレーズが気になりました。

私はあれは駄目だこれは駄目だと、いろいろと自分を責めてしまいやすい体質でした。オンラインゲームで遊んでいても自分の行動が悪かったと、すぐに自分に対して駄目だと決めてしまう所がありました。

しかしどのような出来事であれ、100%白100%黒というものは存在しません。圧倒的多数が支持するものでも必ず少数から嫌われたり、支持されていないものはあります。

そして私はふと、自分が何をしてもどんな選択肢をしてもそれはそれで完璧ではないのかと気づきました。

だから何が起こっても完璧だとジャッジするのにはさほど抵抗は無く、記事を見た即日から試していきました。

試してみてまだ日は浅いのですが、変に物事を悶々と考え続けることが減っていきました。あれこれ自分の行動を責めたりしているときに比べて、気持ちが楽になりました。

完璧ということで自分が受け入れられている感じがします。

本日もお読みくださり、ありがとうございます。

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