不足を疑うという事は頑固な思い込みをほどく方法

引き寄せ

あくまでこの内容は個人の一意見、不足を疑うって言葉の捉え方感想等は人それぞれ解釈の違うもの。何となくふわっと思ったことを記述しています。

108さんのYoutube動画をたまに見ていて、その中で不足を疑うって項目が出てきました。

少し気になったのでちょっと長い間取り組んだり、何もしなかったりしていたのですが、そして不足を疑うって魔法でも何かすごいテクニックでもなく、自分がAだからB、だからCなんだっていう風な。強固な思い込みの鎖を優しくほどいていくものだなって感じました。

例えば、連絡が少ない=愛されてない、は自分がそう繋げているだけ

恋愛などでは彼からの連絡頻度が少なかったり、既読スルーが続くと冷めたのではないか、脈ナシなのでは…と不安になりがちかもしれませんが。それも多くの人が感じやすい思い込みであります。

連絡1つ、メッセージ1つに対する捉え方も人それぞれで、大事な交流手段と捉える方もいれば単に業務連絡的なものをやり取りするだけでいいと捉える方もいます。

自分は連絡こそ絶対、正義だと思っていたとしても、それは自分の中だけの思い込みの世界です。

けれど、その世界を採用していると、相手からの連絡が来なければ来ないほど不安感が増えていき、自分の頭の中でマイナスな考えや思考が堂々巡りをしてしまいます。

連絡を来ないことを疑うのではなく、思い込みを疑う

「相手からのメッセージは着ているはずだ、なぜメッセージ欄に表示されていないんだ…」

「メッセージが着ていない、もしかしたらただ見えていないだけなのかも…」

などと相手からの返信が無い静かなメッセージ欄を見て、「何で来ていないんだ…」と怒りや焦りの感情で不足を疑うをやっても何か効果が薄く感じます。なんとしてでも目の前の現実、静かなメッセージ欄に彼からの着信を引き寄せようとすると、体も強張ってしまいますし、エネルギーも乱れてしまいます。

それに相手の連絡を監視するように待ち続けることは心や体も疲弊しますし、何よりも相手への信頼感を蔑ろにしてしまいがちです。メッセージが着ても「次のメッセージもちゃんと来るかな…」といつまでたっても不安感が付きまといます。

海水を飲んでいるようにいつまでも心が潤いません。

連絡の有無で大切なのは、連絡が来ないのを疑うよりも、「連絡が無いと愛されない」「連絡が無いと脈ナシ」など自分が知らないうちに着けてしまっている関連性を疑うほうが、エゴからの抵抗も小さくなって無理が無いと思うのです。

自分の両親や友達と離れていると、連絡頻度は減るけれどそれでも、彼らの事が好きであれば数か月に一度の連絡で信頼が無くなってしまった、絶縁されたとかは思わないですよね。

しかし恋愛になると、相手の事が大切に思いすぎて数時間数日の連絡無しで不安になってしまう…

不安になる事が悪いわけではなく、それほど相手の事が好きで好きでたまらないから、愛が強いからこそ不安が生まれてしまうのです。不安を邪魔に思ったりめんどくさいもの、消すものと思わず、その不安に感じる心は大切にしてください。愛があるから不安が生まれてしまうのです。

ポーカーフェイスにふるまう必要もなく、不安は不安として受け入れることが大切です。こういう自分の弱い心に寄り添って、3歩進んで2歩下がる的なゆっくりな進行を続けることが大事。

そして不安による心のざわつきがちょっと治まってきた、安心感が出てきた時にそっと「連絡が来ない=愛されてない」って思いこみを疑う、自分の思い込みが絶対じゃないかもしれないと少しだけ考えてみる事です。

物事の関連性を一旦放棄してみる

今当たり前に考えている物事の関連性、「連絡が無いから愛されない」「お金持ちだから幸福」「お金が無いから不幸」「アルバイトだから貧乏」のような法則を繋げないでフラットにしてみることも大切です。

もともと物事はニュートラルです、好きな人から連絡ないというのもニュートラルな出来事。

「連絡が無いのは一大事…居ても立っても居られない」と思う人もいれば、「何か夢中になるものがあるから返ってこないのかもな、まあそのうち」と気長に返事を待つ人もいます。

「連絡がない」という出来事にも人によっては意味づけが変わってきます。人の数だけその出来事に対しての解釈があります。だから「連絡が無いから愛されない」は人によっては真理ではありません。

物事の関連性を放棄すると、物事を違う面から見る事が出来ます。お金持ちは幸せそうに見えるかもしれませんが、家族間のしがらみがあるかもしれませんし、収入が多い分税金も多く引かれます。良い家に住んでいると固定資産税や家の維持費修繕費も膨れ上がります。

アルバイトだから貧乏もただ今の状態なだけで、それがそのまま将来につながるとは限りません。もしかすると昇給したり、正社員への登用をしてもらえるかもしれません。また良い条件の所へ転職出来たりと、今よりも良い未来は無限にあります。

アルバイト=貧乏を繋げていると色々不満も出てきやすいし、そのためなかなか悪循環の沼から出られなくなってしまいます。

とにかく今苦しい状況でも、ブログを見たり動画を見たりインターネットが出来るのは豊かな証拠。

インターネットも今は当たり前になり、出来るのが当然と思ってしまいますが、その当然という思いも不足感や欠乏感を抱く種になってしまいます。彼氏から連絡が着て当然という思いも、純粋な彼への気持ちを曇らせてしまいます。

不足を疑う成功例にしがみつかない

不足を疑ってうまく行ったという成功例を聞くと、テンションが上がり私も…という思いに駆られやすくなりますが、人の体験談にしがみつくとそれが出来なかったとき失望感が増してしまいます。

あくまでもその人による成功例であって、それがあなたにも当てはまるとは限りません。もしかすると合うのかもしれませんが、感情に飲まれず自分なりの不足に対してフラットな目線で見る事です。

不足を疑うで何とかしようと思ってしまうのは、その不足があるものとして認めてしまうため、失敗しやすいように思います。疑おう疑おうと思うよりも、そのマイナスな出来事や不足に思える出来事が、本当に悪い事なのか、それが最悪なのかをちょっと意識するほうが心もフラットになりやすく、冷静になれると思います。

マイナスに囚われていると、客観的に見てもその人は「なんか近寄りがたい」「ピリピリしてて嫌」と印象を与えてしまいます。でもそこでマイナスになってはいけない、ネガティブじゃダメと自分を追い込むのも沼にはまってしまいます。

そういうマイナスな日もあると認め、物事にはいろいろな解釈がある、どんな出来事にも裏表があるという事を覚えておくことが大切だと私は思います。

本日もお読みくださり、ありがとうございます。

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