良い出来事も悪い出来事も全てニュートラル

恋人に振られた、好きな人が別の人と付き合ってしまった等が起こると、「最悪だ」「もう駄目だ」と悪い出来事と判断してしまうと思います。

しかしそれは自分視点からの判断であり、自分が最悪だと思う好きな人が別の人と付き合ってしまった出来事も、好きな人の視点に立つと嬉しい出来事になります。

この世の全ての出来事は、100%の人が善と判断することも出来ませんし、100%悪と判断することもできません。

物事が良い悪いの認識は、今の立場が変わるだけですぐに変わってしまうものです。

例えば落札者としてネットオークションを使っていて、安く買えると嬉しくなり良い出来事と判断できますが、出品者側からすると思ったよりも安かったと、残念な気持ちになり悪い出来事と認識してしまいます。

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物事は裏表が必ずある

どんな立場、状態でも必ず良い部分と悪い部分があります。良いと悪いは半々に存在します。

「結婚は良いこと」「離婚は悪いこと」と決めたとしてもそれはただ、結婚はいいこと、離婚は悪いことだと判断しただけです。結婚も離婚もどちらにも良い部分と悪い部分が半々に存在します。

物事に良い部分も悪い部分もどちらも存在するなら、誰もその物事に対し白黒付けなければ、物事自体はニュートラルです。

また世間一般の良いこと悪いことは、多数決で決められている部分があります。あれは良い、これは良くないと世間が何となく決めたものを、よく調べたりすることなく良い悪いと判断しがちです。

辛いことは辛いことだと感じる

恋人に振られた、好きな人が別の人と付き合った等、自分にとって良くない事が起こると、別の人から見ると良いことだと簡単に切り替えることはできません。

だから我慢せずに悲しみや辛い気持ちは、我慢せずに出し切ることが大切です。

泣くことは恥ずかしいことかもしれませんが、涙には浄化作用があり、辛い時はどんどん泣いて涙を流すほうが、悲しみからの回復が早くなります。

辛いときに無理にポジティブに振舞うのは余計に辛さを倍増させてしまいます。

良いことには悪いことが、悪いことには良いことがセットになっている

良いことが起こったら幸せ、悪いことが起こったら不幸だと、出来事の力で幸せや不幸は決めることはできません。

あくまで自分がどう判断するかが大切です。

例えば良い会社、良い学校へ行くことが出来る立場は幸せに思えますが、入ってみると残業が多すぎる、プレッシャーが半端ない、授業が難しい、学校内の人と折り合いが悪い等、その立場に立ったら立ったで、新たな問題や嫌だと思う事が出てきます。

良い立場とされているところに行ったとしても、嫌なことはあります。良い会社にいけて幸福だと思っていたのに、入ってから不幸だと決めてしまうかもしれません。

逆に不幸のどん底に落とされた、もう最悪だと思えるような状況でも、何かしら良い部分が必ずあります。

自分の悪かったことが見えてきたり、今までの行動を見直すきっかけになったり、必ずプラスになります。

本日もお読みくださり、ありがとうございます。

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