頑張っているつもりでもなぜかいつも恋愛を拗らせてしまう…やっとうまく行ったと思ったのに関係がぎこちなくなってしまう…
楽しい恋愛、幸せな恋愛をしたいにもかかわらず、わたしはどうしていつも同じようなところで躓いてしまうのだろう…それは、子供の頃に読んだ少女漫画やフィクション作品の影響が、知らず知らずのうちに心の奥底にこびりついてしまっているからです。
少女漫画やフィクション作品は私たちに、恋愛の楽しさやときめきを与えてくれましたが、物語を盛り上げるためにあえて作られた、「ネガティブな展開」「悲劇的なシナリオ」例えばすれ違いや、相手との誤解、突然の別れ、突然の再開。
辛い展開があったからこそ、分かりあえた時や再び再会を果たした時の感動は、大きいものかもしれません。心を揺さぶられたからこそ、読後に余韻を感じていいシナリオだと思える事もあります。
しかしそのストーリの影響から、恋愛には「山あり谷ありの展開が当たり前」「ネガティブな事は起こるもの」と自分の中でも悪いジンクスを無意識に作ってしまっている事があります。
現実の恋愛はもっと穏やかで淡々としたもの。漫画やドラマのように、山あり谷あり波乱万丈の展開をなぞる必要はありません。ドラマ性よりも実際にあなたが安心できる、心地いいと感じる事が正解なのです。
ドラマのような波乱な恋愛が本物ではありません。
苦しい思い、辛い思いをする恋愛が本物ではありません。
今の自分よりもより楽しく、より幸せになるためにするのが恋愛です。
恋愛に慣れてない時ほど、漫画のような展開が本物だと感じやすい
実際の恋愛ってちょっとドキドキする、友達付き合いと似たようなものです。一緒に歩いたり、どこかに出かけたり、買い物に行ったりする相手がときめく相手、大好きな人に変化するくらいです。ハラハラするシナリオ展開はそうそうありません。
しかし、恋愛をしたことが無い、よく分からないという時は、そのマンガが恋愛のバイブルだと思い込んでしまい、それをもとに恋愛が始まったときは、マニュアルのように参考にしてしまっているのかもしれません。
「相手が私を冷たくするのは私のせい…」「相手が冷たいのは私が試されている」など相手が上で自分が我慢をする立場、モラハラまがいなことをされていてもそれは自分が悪いから…と自己否定や明らかに相手が悪いのに自分の責任にしてしまったりと、少なからず影響していることもあります。
また、創作によくありがちな「良い展開になったけど、この後悪い事が起こりそう…」「いいことは長く続かない」など悪いジンクスを自分の中に作り出してしまう恐れもあります。
残酷な描写や過激な描写は慎重にされたり、配慮されることも多いけれど、現実に密接している恋愛の創作物の描写ももっと慎重に配慮していくことは大切な事だと思います。
残酷表現や過激表現は明らかにフィクションと分かるので、それをあまり現実に統合して考えることは無いと思うけれど、恋愛は実際の対人関係や、自分の自己肯定感に少なからず影響してくるので、あまりにも辛すぎる恋愛、悲壮的な作品についての扱いも十分に気を付けなければいけません。
悲劇のヒロインの物語は中毒性がある
困難に立ち向かいながらもあきらめないヒロイン、傷つきながらもそれを耐えながら健気に頑張るヒロイン。そして壮絶な経験を得てラストには愛する人と結ばれる…
そのような心を揺さぶるストーリー展開に感情移入をし、素晴らしいと心が震え、そして類似するストーリを読み続けていると、だんだんとその刺激に慣れてきてしまい、普通の穏やかな恋愛が物足りなくなってしまう事もあります。
リアルに創作のような二転三転するシナリオのような恋愛をし、最後は結ばれるとかになるととても感動的になるのかもしれませんが、誰かと恋愛をすることは、そんな果てしない頑張りの果てにあるものではなく、もっと身近に穏やかに存在するものです。
恋愛に限らず、悲劇のヒロインを主人公に置いたストーリーは、とても心を揺さぶるものが多いですが、知らず知らずのうちにそのシナリオを現実に持ち込んでしまう事もあるので、注意が必要です。
創作はあくまでも現実世界の花火のようなもの
マンガやドラマなどの創作作品は、あくまでも普段の生活での息抜きで楽しむ、その一瞬一瞬だけ楽しむものでもいいのです。まるで花火大会の花火のような今生きている一瞬の輝きを、切り取るかのような楽しみ方でもいいのです。
創作は普段できない体験をさせてくれるもの。人はもともと本能的に、ネガティブに引き込まれやすいので、特に悲劇的なものや悲壮的な物語には感情移入をしてしまいやすくなります。ネガティブなシナリオを見るのが悪い、そういうものは廃止しろというのではなく、悲劇的なものや悲壮的なものに惹かれつつも、そこに引っ張られすぎない冷静な視点も大事です。
ある程度の所で見切りをつけ、現実には持ち込まない事です。
現実の花火大会も延々と開催されるのではなく、一瞬の間だけ光り輝くごとく開催されるものです。
花火大会を観覧している間は、花火の光や音がきらめきに心を打たれ、終わったら淡々と帰路へと着く。もっと見ていたい、もっと楽しみたいという思いが出てくるかもしれませんが、一瞬だけ楽しみ物足りなさが残る中で終わることも、創作に夢中になりすぎず人生においてもメリハリをつける、大切な心掛けだと私は思います。
本日もお読みくださり、ありがとうございます。