あじまりかんを唱えていると、私は過去の嫌なことを思い出してイラッとしてしまったり、唱えているうちに後回しにしようと思っていた行動に嫌な気持ちを感じること無くスッと取り組むことができます。
少し前には、あじまりかんを言いながら眠ってしまったことがあったのですが、それから起きてしばらくまどろみの中にいたのですが、なにか神々しい物を感じることもありました。
唱えていると昔の嫌な人を思い出した
あじまりかんをなにげに唱えていると、小学生の頃にいた嫌な人を思い出しました。でもその人とは友達だった事もあり、いじめっ子であったこともある不思議なポジションの人です。
もうすっかりと忘れていたその人が言ってきた言葉を思い出し、イラッとして嫌な気持ちになりました。そして、若い頃付き合っていた人の嫌な部分を思い出し、そこでもイラッとした気持ちになりました。
でも私はそのイラッとした気持ちを抑えず、そのまま頭の中でその人達に対して感じる怒りの気持ちを表しました。そうすると、その嫌いな人に対する怒りの気持ちはすぐ治まりました。
また怒りを物にぶつけてしまうかも知れないと思っていましたが、そうするまでもなく嫌な気持ちはすぐに消えていきました。
怒りは上手く発散させる大切さを知る
引き寄せの法則やマーフィの法則、自己啓発などの本を読んでいると、怒りを気持ちを持ったり汚い言葉を言うのに抵抗が出てくるかもしれません。私も怒りの感情は良くないものだと思っていた時がありました。
確かに怒りの感情は人を萎縮させたり、恐怖感を与えてしまう、強大な力を持っています。しかし怒りを発散させないで体に溜めたままでいると、気持ちが淀んできたりしんどくなります。
怒りは怒ることでしか発散できません。怒りの上手な昇華方法はもっと年齢を重ねれば分かるのかも知れませんが、感情に蓋をしないことは大事です。今回感じた怒りも、抑えず上手く発散させることにより、スッと怒りが消えていきました。
あじまりかんを知るまでは、怒りの感情を出すことは悪いことだと思っていましたが、あじまりかんを知ってから、怒りを感じたらそれを我慢せずにうまく解消すればいいんだなと、腑に落ちました。
後回しにしていた事を自然としたくなった
最近私はあじまりかんの他に、真言やマントラを唱えることもあります。それらはあじまりかんを知ってから出会ったので、あじまりかんの導きだと私は思っています。
真言やマントラに関しては今後ブログに書くかも知れませんが、まだ書くには機が熟していないと感じています。でも、何かしらの効果を感じています。明らかに自分の内面が変わってきています。
今日は起きてからとあるマントラを唱えていると、オークションで安いものですが物が売れました。でも、取引や梱包は面倒に感じたので、後回しにしてしまいました。
それからあじまりかんを唱えていたのですが、何度か唱えていたら急にオークションの取引や梱包をしたくなりました。過去に急にでかけたくなったこともあったので、(参考記事:あじまりかん5万回挑戦中1)過去記事にも書いた通り、何かしら行動を促す力が強いのだなと更に実感しました。
あじまりかんは友達
あじまりかんを知った頃は、その言葉が怖いなと感じることもありました。でも、言い始めてから間もなく自分が変わってきた体験もしたので、これは何かしら力があるとおぼろげに感じていました。
私は今はあじまりかんは友達だと感じています。あじまりかんを知ってから知ったもの(マントラなど)は、少なからず私にいい影響を与えています。本当に少しずつですが、人生が前向きになってきています。
大いなる力も感じますが、友達のように身近に感じることもあります。
あじまりかんは人それぞれ感じるものが違う
あじまりかんを言うことで体験することは、人それぞれ違ってきて当たり前だと思います。思想や生活環境も皆千差万別です。
胡散臭いと思ったり、効果がないと思うのも、そう感じる人の答えです。本に書いてあること、ブログに書いてあることも合わなければ、無理に受け入れなくてもいいのです。
この世の中には相性というものがあります、万人が絶賛しているものでも受け付けない物は必ずあります。私も過去にものすごく人気のゲームをやって、それ程面白さを感じないことがありました。(名前は伏せますがゲーム好きな方には必ず分かるゲームです。古いものですが。)
自分に合うものを選んで行くことが大切です。
本日もお読みくださり、ありがとうございます。